伝統を継承する!元素魔術は魔術的基礎になので内容と使い方を紹介します

なんらかの魔術を試しに行ってみて、わずかな効果が得られたかも知れませんね。そうなると次には、せっかくの魔術なので効果を高めるにはどうすれば良いのかという段階に入ると思います。ステップアップのタイミングです。

ウィッカの魔術は古代魔術からの伝統を用いて魔術の力を増強する方法を提案しています。すなわち四元素に基づいた元素魔術が伝統魔術の本質的部分を担っています。四元素は「空気」「大地」「水」「火」から世界ができているとする世界観の一つです。

効果は、元素毎に異なります。ですからどのような元素の影響を受けるかを知らないと、期待通り効果を得られません。それぞれに異なったエネルギーとパワーを供給しています。

伝統魔術の初期から、実践者たちはそれぞれの元素の力を利用する工夫を重ねてきました。元素魔術をするからといって、元素魔術の利用を効果させるのが目的ではなく、目標は元素と調和した関係を保つことです。その結果として元素の力が私たちを通じて作用し、少しばかりの力をくれることになります。

まず「空気」ですが、空気は私たちを取り囲んでいて、生きるのに必要不可欠です。存在に慣れているので、初心者が修行を始めるのに最適です。空気は常に変化し流動しているので、知性や新鮮さ、新しい始まりを代表します。この元素と結びつくには、深呼吸できる場所を見つけます。新鮮な空気に集中して、深呼吸をよく味わいます。

空気の属性として次のように考えられます。
方向:東(太陽が昇る場所)
作用:推進
色:黄色
用途:旅行、勉強、自由、紛失物の発見
形態:空中に投げる、物を扇ぐ、積極的に理解する
季節:春、新しいスタートの時間
器具:杖
象徴:羽、香の煙、花

次に「大地」。大地は土地、山々、木々、泥地、草原など周囲に広がる世界です。大地は私たちの確かな土台、物事を安定させ、富を提供する母なる大地は、すべての命の基礎です。仕事や豊穣、安定と知識の儀式に関わる重要な元素です。確かな基礎が必要な儀式において用いられるこの元素は闇と沈黙とに関連しています。

大地の属性は次の通りです。
方角:北
作用:受容
色:緑
用途:収入、豊穣、就業、定着
儀式:砂の上に建てる、埋葬する
季節:冬
器具:五芒星
象徴:土、小麦、葉っぱ、植物、塩

そして「水」もまた必要不可欠な元素です。地からわき上がり、水は始まりと終わりを司ります。それは生命を生み出し、終わらせるが、それなしでは生命は保てません。水は清め、癒やしであり、同時に愛の元素として知られており、潮の動きのように私たちを支えます。

水は情感であり、純化ですから、癒やし、清め、幸福、熟慮と霊的能力のための儀式に用いられる属性はと言えば…。
方向:西
作用:理解
色:青
用途:清め、愛情、夢、睡眠、関係
形態:入浴、水泳、希釈
季節:秋
器具:カップ
象徴:貝殻、カップの水、海草

最後の「火」は破壊し創造します。そして熱、光、動きを供給します。火は物を灰と煙に変化させるので、変化の儀式に用います。陽射しの中に立つことで、火の元素を感じ取ることができるでしょう。あるいキャンプファイアーのはじける音を聞き取ることができます。

火の元素魔術では、破壊的要素を用心して扱うのが重要です。制御できないと破壊的で望まない結果を得ることになります。火は変化、創造性、力と感受性を促します。

火の属性を挙げるなら、このようになります。
方向:南
作用:推進
色:赤
用途:性交渉、勇気、権威、否定作用の消去、力
形態:燃やす、燻す
季節:夏
器具:短刀
象徴:炎、溶岩、熱せられた物

これらの元素を感じ取るのが、元素魔術です。つまり四元素からなる世界を体感することなのです。

まずはこれが基本!ろうそく魔術が奥底に秘められている力を目覚めさせる

どんな事でも習熟する段階があるので、そこで紹介する魔術はろうそく魔術と呼ばれる、火を用いた儀式魔術です。だれが執行したとしてもそれなりの効果が期待できるはずです。

火は変化のエレメントです。火が物事をどのように変化させるのかを考えてみれば、数多くの物質を火は灰にし、固い金属を鍛えるために柔軟にしてしまう。また火は物に熱を与えて、液体を気体に変化させます。

手順に従って魔術を執り行うが、呪文の準備を行っている時には既に呪文を解き放っているので注意が必要です。準備段階からすでに目標に向かって、自分のパワーを注いでいるからです。

すべて他の魔術と同様、目標について検討するのは大切です。魔術的な目標に焦点を合わせているためのアドバイスは次のようなものです。

できるだけ特定する。
現実的であること。
倫理的責任に配慮する。
積極的な言葉を使用する。
大きな目標は小さな目標に分割する。
できる限り簡単な言葉で表現する。

例えば「電気代の支払いのために必要を稼ぎ出す」とか「旅行中の災難から身を避けたい」などのようになるはずです。

その目標をろうそく魔術のガイドとして用いて、自分だけの呪文を用意します。収入を増やすための魔術なら、意識を適正にするために次のように心の中でつぶやきながら作業します。

電気料金のためのお金の呪文を作成している。そのために最も基本的なろうそく魔術を行っている。鮮明にイメージを作り出すために、ろうそくに火を灯し力を放出している。ホルダーに立てられたろうそくに、ろうそくを聖別するために少しのオイル、ハーブやスパイス…。

最後に魔力を送り届けるために、呪文を唱えます。呪文は探してきても良いし、自分で考え出しても良いでしょう。唱呪に必要不可欠なのは、自分にとっての意味です。実施時間を考慮するなら、月齢カレンダーを参照して、増大に最適な時間を選ぼう。

学資ローンの返済のために用いた呪文を唱える呪文の例にします。金よ、金よ、私に来い/私は時を捉えよう/この呪文がテーブルを回す/私は必要なものを手に入れる/私の手元の小切手を増やせ/言葉がそうあるように、これは我が意思である

儀式のしつらえを調えます。目標にしつらえを整って応答させるのが上策です。ローソク、ホルダーの色は次のように考えられます。

赤色:勇気、創造性、エネルギー、情熱、愛情
橙色:野心、集中、英雄、法律的事案、知的追求、成功
黄色:魅力、明晰、幸福、知性、追求、旅行
緑色:成長、多産、調和、健康、豊かさ、財産
青色:霊性、癒やし、養い、忠誠、平和
紫色:高位な自己、神聖、瞑想、霊能、開発
桃色:美、共感、女性性、共同、ロマンス
白色:全目的、清潔、純潔、真実、エネルギー
黒色:消失、祓い、禁止、発見、守護、自衛
灰色:暗示、孤独、中和、無効化
茶色:無限性、家族、友人、園芸、基礎、ペット、安定

ろうそくを聖別するのは、ろうそくと目的との間に霊的関係をつくるためですが、魔術の目的に関わらず、聖別のために、ろうそくといくらかのオイルが必要です。

所作についてはさまざまに異論がありますが、両手にオイルを注いで、手を上下に動かして、ろうそくに塗りつけることになります。例えば、ろうそくの先から根元に向かって塗るか、逆にろうそくの根元から先に向かって塗ります。また、先から元に向かって塗り、さらに自分に垂らすか、元から先に向かって塗り、その先にはじくようにします。

聖別は数分間、50〜100回程度の所作を繰り返して充分に行いますが、所作よりも聖別するときの精神状態がはるかに重要です。自分の目標を思い描き、ろうそくに自分の意思を注ぐことです。

ウィッカの掟を理解して実践しよう。ただし何にでもお約束があります

魔法・魔術は実践するものです。知識と呼ばれるものを分類すると、宣言知識と作業知識に分けることができるそうで、知っているかどうかを問われるのが宣言知識で、できるかどうかを問われるのが作業知識になります。ですから、魔法・魔術は宣言知識を前提にした作業知識に含まれます。

例えば「引き寄せの法則」を実践したことがある人は少なくないと思いますが、効果があったと断言できる人はけっして多くはないと思います。それは「法則」と名乗ってはいるが、ウィッカンの魔術の一つであって、作業知識に分類されるからです。作業知識には一定の宣言知識を前提にした、技量の高度化が必要なのです。

稚拙な私訳で申し訳ありませんが、ウィッカンが公開している情報を元にして、実際に彼らの実践を覗いて見ましょう。中には「考える」とか「信じる」などの主観的な言葉が見られますが、これらの主観を訓練することがそのまま魔術的な訓練になっています。

月齢と四季、春分と秋分に表れる自然のリズムに同期するために儀式を行います。それは環境に対して知性は特定の責任を負うからです。大自然が生命と意識に満ちる認識を約束する、環境との調和を求めます。これは彼らが古伝の魔術から継承している一部です。

私たちの身体感覚も四季毎にまったく異なります。罹患しやすい疾病も四季毎に違ってくるのは、自然の摂理です。そのような自然の摂理に対して充分認識するという実践です。

平均的な人たちに表されるより遙かな力の深みを認めます。それは時として「超自然」と呼ばれるが、それはすべての存在に潜在しているからです。私たちの知っている作用力は一部に過ぎず、認知から漏れてしまった力が多く存在すると考えます。

男性性と女性性などの陰陽を通じて宇宙が創造する力と機能を、すべての人々中と相互交流に見いだします。相互理解と相互支援を重要だと考えるからです。東洋では有名な陰陽の考え方を取り入れているのがわかりますね。陰陽は反発しあうだけではなく、お互いに引き合う力が働くことで、巡るという運動をすると教えています。

外にある世界と内的世界の両方がともに重要。心理的世界は霊的世界、集合無意識などとして理解されるが、これら両面での行動が超常現象の基礎であり、魔術的実践です。一方だけが必要なのではなく、その両方が充実しなければならない。

権威的階級を認めないが、教えたり与える人に敬意を払います。より優れた知識と知恵を共有する勇気ある人をリーダとして認めます。平等の考え方ですが、敬意の支点を明確にしているのが特徴ですね。

宗教、魔術と生かされる知恵を一つの世界観と人生に結びつけるものと考えます。これらの世界観、生きるための思想、が魔術でありウィッカンのあり方です。個別ばらばらの考え方ではなく、ウィッカとして総合したものだと言います。

自分自身を「魔女」と呼ぶことで魔女になれないし、遺伝によるのでもありません。肩書き、学位や儀礼を重ねても意味がありません。他人を傷つけないで、自然と調和を保ちながら、自分自身の中を探求して、よりよく生きるために力をコントロールします。

肯定して受け入れ、改革し続ける生を充足させ、世界に意味を見いだす意識の開発とに自分の役割と価値があると信じます。世界とどのように関わっていくかはウィッカの実践として重要です。

これらのことは、どのように思い、考えるかだけではないはずです。むしろこれらの思考を日常生活の中で実践できるには訓練が必要です。そしてその訓練が魔術的力を発揮する基礎を養うことになっているのですね。ウィッカの信条、「他者を害さない限り、自らの意思を行え」でした。

現代のウィッカの成り立ち!世界観を理解するのが手っ取り早い第一歩です

学問の世界であれば、社会学的なアプローチによって集団を定義するのが良いように思えます。あるいは文化人類学がフィールドワークするように一定のグループに入り込んでレポートする方法も考えられます。

いずれにせよ、部外者が自分の知的な判断を優先させて理解しようとすると大きな勘違いを免れるのが困難になります。大切なのは所属している人たちが自分をどのように理解しているかという立場を保持することでしょう。

ウィッカと言っても世界中に拡大しているため、それぞれに大きな違いを持ちながら、ウィッカとして成立しているようです。そこで、彼ら、ウィッカの世界観を知るために、具体的に一つのグループが自己紹介している記事を参考にまとめることにしました。

ちなみに彼らが形成するコミュニティをコヴァンと呼んでいるようなので、この用語を用います。ここで中心的に扱うのは、アメリカに存在するケルト系のコヴァン、グループです。それでは…。

「神とすべての存在とともに、バランスと調和とを保った人生を指向する平和を目指す者たちである。」と定義しています。バランスと調和とを保った生き方はある意味トレンドですよね。私たちは一見違う言葉を使っていますが、同じ内容の言葉を広告媒体で頻繁に見かけます。

彼ら自身に宗教であるという感覚があるようで、宣言の中に神という用語が使われています。神というとき、日本人である私たちにはキリスト教の神が親しみあるでしょう。あるいは神道の神々でしょうか。ウィッカの神学を見るとどのような神を定義しているかがわかります。

具体的には「創造的超越者である神がすべての存在を統一している」と考えるようです。この場合の神はキリスト教・イスラム教的な唯一神を意味しません。男神と女神があり、だから世界は両性を持つ。と主張しています。比較的緩やかにどのような神への信仰も受け入れるようです。

ですから地獄といった概念は成立する余地がないようです。死後の世界をどのように考えているかといえば、死は終焉ではなく変容である、とします。この辺りの考え方は、とても現代的なものであるかのように感じます。

宗教的倫理性も備えていると主張しています。最も有名で、さまざまな資料で引用されている原則がウィッカの信条と呼ばれますが、「他者を害さない限り、自分の意思をおこなえ」というものです。他者に有害であるという歴史的魔術理解に対する警戒が織り込まれているようです。

彼らは宗教的に魔術と付き合うのですが、その場合の魔術とは何かについて簡単に言ってしまえば、古代ギリシャ的五大元素に世界を還元して理解する思考にたどり着きます。ピタゴラス教団から始まり、アリストテレス的存在論がネオプラトニズムによって神秘化したものかもしれません。

ウイッカは、そのような古代の魔女術から発展した魔術儀式を取り入れた、現代宗教であるということになるでしょう。このように彼らには宗教性があるのですが、このことを彼ら自身は次のように表現します。

「ウィッカは自然の営みを愛する」同時にキリスト教徒対立する宗教性を強調します。彼らはキリスト教が提示する神ではなく、古来の伝説的な神々の名を探しだし、それっぽい祭儀を案出して、集会を盛り上げます。そういえば、日本でも取り上げられ、盛り上がるハロウィーンは彼らの精神に適うものの一つですね。

しかしウィッカはカルトではないとも主張します。どのような点でカルトではないと根拠付けしているかを見ると、追従するべき教祖を持たない、神々の代弁者ではない、従って犠牲を捧げず、他者の人生を支配せず、呪いを掛けないという事に集約されるようです。