海外に広がっているらしい?「ウィッカ」と名乗っているこんな人たち

インターネットを検索すると「ウィッカ」に関する記事の量が増えてきたようです。自らをウィッカとして内容を紹介しているところもありますし、総論的に語るところもあります。おおむねまとめると魔術を指向した妖しい新宗教として紹介されている印象が強いようです。

有名メーカーにはブランド名に採用していたりします。言葉の響きがなんとなくおしゃれだからでしょうか。確かに調べているとウィッカはエコロジー、ファッション性を現代の特徴として扱っているようです。

同時に内容を見るとき、古代宗教のリバイバルとしてのウィッカといった側面が見られます。最近になってネット上に情報が増えてきましたが、数年前まではほとんど何も手がかりがない状態でした。自称ウィッカたちは自らの正統性を確保するために歴史の命脈を古代に遡る傾向を持っているみたいです。

その意味では現代によみがえった魔女術の集団と考えられるかも知れません。古代からの伝統に正統性を求めるために、なんとなく妖しさが漂うのは仕方がありません。例えば、悪魔と契約を交わしているのではないのかとか、黒魔術で人を呪っているのではないかなどはよく質問されることです。

同時に民族主義と結びついた民間信仰の再編成だと解説している冷めた見方もあります。冷めたというのはそのムーブメントなりに、ありきたりの逸脱現象であって何も期待できないという立場からの表明に聞こえるからです。

ウィッカを排斥する構造はいじめの構造に似ているようにも見えます。自分たちとは何かが違うとして、仲間から区別して排除するパターンが共通します。そのような行動を根拠づける見方の基礎に、相手が無価値であると考える下地があるように思えるのです。

それでも魔術は何の役に立つのか?という問いは難問でしょう。何か特定の具体的効果が一定の成果を上げなければ、認めない実験室主義的な考え方が私たちに染みついてしまっているからです。

例えばお金が儲かると言ったなら、一定の金額以上、同時に一定の金額以下の範囲を前提して評価する傾向があります。1円では認められないでしょうし、10億円だと疑われる結果にしかならないのです。結局人間は自分で想定した合理的な推論によって考えられる枠の中に生きているといえます。

極めてファッショナブルに飾られた現代的なウィッカですが、古代の魔術から受け継いでいる部分もあります。自己変容への憧憬は依然と変わらない目標であり続けています。

それは古代から消滅しないで維持されてきたイマジネーションです。あるいは欲望の他力本願だともいえるでしょう。どのように言葉を尽くそうがそれが人間の思いに根ざした本質であることを偽れません。

活動の特徴から考えれば、女神を中心とした多神教であり、さまざまな思想体系から引用して組み立てられた儀式を小グループによる活動で行います。それは確かに現代的に既成化した宗教へのアンチテーゼでしょう。

古代の魔術を現代的に造り直して活動するコミュニティです。一人ではなくごく親しい仲間に向かう思いもくみ取れます。SNSなどで拡大してしまった現代に特有の不都合への応答であるということになります。

科学至上の合理的考え方に対する閉塞感が背景にあります。勢力を持つ既成宗教が排斥してきた存在への期待の表れともいわれます。歴史的に表舞台に立ち続けてきた西洋キリスト教主義に対しての失望が生み出したとも言います。

ですから、人を呪うためではなく、悪魔との契約ではなく、彼らは自らを大自然を崇拝し、女神を崇拝すると主張しているのです。女神とは太古から生産のシンボルとして理解されてきたからです。