えっ!まじ?ラノベ・アニメに魔術は素材を提供しているだけではない

ライトノベルを始め、アニメやゲームなどの世界で魔法使い物を見つけるのは簡単です。テーマが魔法でないロールプレイゲームだって、パーティの中に一人は魔術師を入れておかないと難しかったりします。

妖しい鍋を煮ている人を探してもなかなか見つからないとしても、魔法使い、魔女や魔術師というイメージを普通に持つようになっています。そのようなイメージを探すとどこからやってきたのか、が影を浮かび上がらせます。

かつて実在の魔術書の呪文を引用している作品がありました。水木しげる氏によるテレビアニメに登場する主人公が悪魔を召喚していました。これは時として危険を伴うかもしれません。特に召喚魔術の場合、召喚成功は対象を自分自身に乗り移らせることを意味します。

雰囲気を整えて、その気になって呪文を唱えるのは、実際の魔術儀式とよく似ているからです。このアニメ、個人的には妖しさと薄暗さが気に入って、西洋魔術への関心を持つようになったきっかけでした。当時は専門書を探すのも困難だったのが、その道に行かなかった理由です。

物語の登場人物が伝説に変化して、新たな文化を造り始める場合があります。そうなると、伝説であると指摘するだけで、信じている人から怒りを買う結果になりかねません。それでも、有名な登場人物を挙げておくのは有益だと思います。

『アーサー王伝説』の登場人物である魔法使いマーリンは一部の人にとっては教祖に誓い存在です。正義に仕える魔術師で、殉教してしまうような悲劇性を持っている原型であるように思えます。

『指輪物語』に登場するガンダルフやサルマンは魔法使いのファッションをリードしている感があります。魔法使いといえば、このスタイルかもしれません。長いローブをまとって、杖を持ち、長い髭をなでるというパターンは支配的でしょう。

彼らのように先行する魔法使いのイメージが後の魔法使いのイメージを規定しています。魔法は修行して獲得するものであったはずですが、当初から彼らは魔法使いです。技能であった普通の人との違いが、生まれつきのものに置き換えられているのですね。

『魔法使いサリー』はほうきに乗って空を飛び、『ひみつのアッコちゃん』は鏡を使って姿を変えました。『魔女っ子メグちゃん』が魔法を使用するシーンは女の子を虜にしました。伝統的なイメージに対して、陰のないキャラクターによって魔術は健康的なモノに変化しました。

かつての社会では排除の対象であった魔術は、社会的に受け入れられる素地を獲得しました。確かに『黒い雌鳥』などのグリモワールに見られたのは、社会が隠そうとした裏側にある薄暗さだったといえます。

とうとう、子供たちが真似をし、衣装を真似て、ファッションに取り入れて、現代的な街を魔術師たちは闊歩するようになりました。社会的視線も違和感を感じなくなり、さらに魔術は名前を伏したまま、生活に入り込んできています。

そもそも人間の存在は非合理です。誰が好んで自分を選んでいるかと考えれば、「本当の自分」なんて言葉の必要性を判断できます。よくなりたいという気持ちを裏返せば、今が不足しているという不満でしょう。

魔法・魔術の根底には、人が持っている、一種の本能があるのです。しかし、この思いそのものは決して邪悪ではありません。正統な哲学であっても、根底には同じ欲望を前提にしています。違いは、実現方法のみにあります。

実現方法が獲得できない要素を必要とするなら、別の方法を探すことになりますが、問題は方法が容認されているかという点です。つまり、欲しいと思っても手に入らないときに、どうするのかということを問いかけているように思うのです。