ウィッカの掟を理解して実践しよう。ただし何にでもお約束があります

魔法・魔術は実践するものです。知識と呼ばれるものを分類すると、宣言知識と作業知識に分けることができるそうで、知っているかどうかを問われるのが宣言知識で、できるかどうかを問われるのが作業知識になります。ですから、魔法・魔術は宣言知識を前提にした作業知識に含まれます。

例えば「引き寄せの法則」を実践したことがある人は少なくないと思いますが、効果があったと断言できる人はけっして多くはないと思います。それは「法則」と名乗ってはいるが、ウィッカンの魔術の一つであって、作業知識に分類されるからです。作業知識には一定の宣言知識を前提にした、技量の高度化が必要なのです。

稚拙な私訳で申し訳ありませんが、ウィッカンが公開している情報を元にして、実際に彼らの実践を覗いて見ましょう。中には「考える」とか「信じる」などの主観的な言葉が見られますが、これらの主観を訓練することがそのまま魔術的な訓練になっています。

月齢と四季、春分と秋分に表れる自然のリズムに同期するために儀式を行います。それは環境に対して知性は特定の責任を負うからです。大自然が生命と意識に満ちる認識を約束する、環境との調和を求めます。これは彼らが古伝の魔術から継承している一部です。

私たちの身体感覚も四季毎にまったく異なります。罹患しやすい疾病も四季毎に違ってくるのは、自然の摂理です。そのような自然の摂理に対して充分認識するという実践です。

平均的な人たちに表されるより遙かな力の深みを認めます。それは時として「超自然」と呼ばれるが、それはすべての存在に潜在しているからです。私たちの知っている作用力は一部に過ぎず、認知から漏れてしまった力が多く存在すると考えます。

男性性と女性性などの陰陽を通じて宇宙が創造する力と機能を、すべての人々中と相互交流に見いだします。相互理解と相互支援を重要だと考えるからです。東洋では有名な陰陽の考え方を取り入れているのがわかりますね。陰陽は反発しあうだけではなく、お互いに引き合う力が働くことで、巡るという運動をすると教えています。

外にある世界と内的世界の両方がともに重要。心理的世界は霊的世界、集合無意識などとして理解されるが、これら両面での行動が超常現象の基礎であり、魔術的実践です。一方だけが必要なのではなく、その両方が充実しなければならない。

権威的階級を認めないが、教えたり与える人に敬意を払います。より優れた知識と知恵を共有する勇気ある人をリーダとして認めます。平等の考え方ですが、敬意の支点を明確にしているのが特徴ですね。

宗教、魔術と生かされる知恵を一つの世界観と人生に結びつけるものと考えます。これらの世界観、生きるための思想、が魔術でありウィッカンのあり方です。個別ばらばらの考え方ではなく、ウィッカとして総合したものだと言います。

自分自身を「魔女」と呼ぶことで魔女になれないし、遺伝によるのでもありません。肩書き、学位や儀礼を重ねても意味がありません。他人を傷つけないで、自然と調和を保ちながら、自分自身の中を探求して、よりよく生きるために力をコントロールします。

肯定して受け入れ、改革し続ける生を充足させ、世界に意味を見いだす意識の開発とに自分の役割と価値があると信じます。世界とどのように関わっていくかはウィッカの実践として重要です。

これらのことは、どのように思い、考えるかだけではないはずです。むしろこれらの思考を日常生活の中で実践できるには訓練が必要です。そしてその訓練が魔術的力を発揮する基礎を養うことになっているのですね。ウィッカの信条、「他者を害さない限り、自らの意思を行え」でした。