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ソロワーク以外にも?グループワークというやり方が意外と有効なのです

ウィッカの実践をするとき、一人で取り組むばかりがやり方ではありません。どのようなことでも、同好の志があって、集まることから多くのことが学べるモノです。ウィッカの集まりには「コヴェン」と「サークル」とがあります。今回はコヴェンとサークルについて調べてみましょう。

ウィッカは他の宗教団体と疎遠なので、施術者と直接知り合う機会に恵まれていません。ウィッカについて知りたくても、住んでいる場所の近くに、地域社会に開かれた教会、モスクやその他の公的な建物のようには見つからないでしょう。

それでも地域によっては、ウィッカンのコミュニティが見つかるかもしれません。状況次第で、グループのメンバーとして招かれる場合もあるでしょう。コヴェンはラテン語の「いっしょに集まる」という意味から派生した言葉です。

中世においては、あらゆる種類の集会がコヴェンと呼ばれましたが、1600年代に入って、特に魔女たちと関連づけられて用いられました。その傾向はさらに20世紀初期に古代宗教の復興と結びつきました。

伝統的な意味は、秘密裏に神礼拝や魔術を行う13人からなる魔女のグループです。初期のウィッカにおいて、グループには女神と男神を象徴する女教皇と教皇が存在していました。他の多くのグループは多くを伝統から引用して折衷主義的なものになり、階位性よりも平等主義なリーダーシップ構造で運営しています。

伝統に関わらず、コヴェンは新入者のために参入儀式が用意されています。新入者はガイダンスの時間を経て、参入儀式前の準備をします。そして参入者たちには、より高い段階の学習機会があります。段階毎の達成条件は所属しているコヴェン次第です。

典型的行事はコヴェンによる安息日の祭り、満月の祭りへの参加でしょう。その他にもさまざまな集まりが開催されます。コヴェンが新たにメンバーを加えようとしているなら、候補者たちの見学も認める場合があります。

メンバーは互いに強い絆で結ばれています。絆はあたかも家族のように見えるでしょう。どのようなグループであれ、新しいメンバーが加わることによってグループは新しい力を得て雰囲気が変化しますので、時間を掛けて、参加希望者を吟味する必要があるのです。

このように、コヴェンに参加することは他の宗教団体に参加するのとは異なります。集会に参加する、欠席するという判断は他の場合より遙かに大きな意味を持ちます。つまりより多くの信頼がコヴェン参加の要件だということになるのです。

ですからウィッカそのものに不慣れな状態だと、コヴェンに参加するのは見送る方がいいでしょう。多くのコヴェンでは、参入の儀式以前に少なくとも1年以上の経験を要求します。これはグループ儀式への参加準備に良く、また重要な決意のために良いのです。

コヴェン参加は大ごと過ぎの感がありますが、他のウィッカンと交流する機会はまだあります。非公式なウィッカの集会を探しても良いですし、自分で始めるのも可能です。

サークルはより非公式なグループです。メンバーはディスカッションと学習のために参加しています。また、折衷主義的な儀式魔術の体験の場として意味もあります。安息日の祭りや満月の祭りは不確定で、参加は一般的ではありませんが、見学できるでしょう。

グループによっては多くのメンバーを抱えています。幾人かは離脱したり、あまり顔を見せないこともあるが、グループの組織は一般的に緩く、確立された階級制度を持ちません。参加は歓迎されるはずですし、幅広い知識に触れることができるでしょう。

ふさわしい場所へ導かれるように祈ります。ふさわしい時があると、いずれ明らかになるでしょう。

ウィッカの7つ道具を使ってパワーアップ?魔術が威力を持つ必要条件

昔のこと、子供の頃に見ていたテレビアニメでは魔法少女の力の源は手に握られたバトンだったりしました。あるいは空を飛ぶために使ったほうき、とんがり棒などを思い出される方もいらっしゃるでしょう。

ウィッカンなど現実の魔法使いにも同じように7つ道具といえるものがあるようです。彼らもやはりバトンを使い、とんがり帽子を被り、ほうきにまたがっているのでしょうか。それとも、杖1本でなんでもやってのけるのでしょうか。

ここで情報をあれこれ集めてきましたので、彼/彼女たちの道具と使い方の説明を覗いてみましょう。なにより儀式魔術にとって「祭壇」は欠かすことができない道具です。道具は空を飛ぶためではなく、神々に精神を接続するために使います。

とは言いながら、道具を用いた実践の核心はグループ毎に違っています。あるグループが用いるものはシンプルでも、他のグループは多くのものを使います。わずかな道具にいくつかの用途を兼用させることで、道具立てを簡単にするのが通常です。

まず、基礎的な儀式で用いられる道具としては。椀、短い杖、五芒星、短剣、お香、ろうそくなどを挙げることができるでしょう。これらはほとんどどのグループでも同じように祭壇の上に並べられています。

あるいは伝承によって意見が分かれる道具としては次のようなモノがあります。ほうき、鍋、ベル、長剣、歩杖、鞭などです。時に副次的に用いられたり、特に目的を共通して用いたりするものです。

それ自身が道具とはいえないのですが、儀式に用いるためにさらに多くのものを挙げられます。神や女神の像、鎌、儀式用に食品や捧げ物、水晶にハーブ、祭壇の布、装飾などがよい例です。これらは用途が特殊であったり、儀式が特別なものであったり、個人の趣味に関わる部分もあるようです。

だからといってウイッカ入門者としての実践を始めるために、すべてを手元に揃える必要はありません。むしろ、できるだけささやかに初めて、一度に1つか2つを追加して、実践に従って徐々に整えます。道具立てではなく実践経験によって力が強められるからです。

どのように道具を揃えたかを別にして、道具を聖別するのは必要不可欠な作業です。手に入れた道具は、元の持ち主、環境の影響を記憶しているからです。清め洗い、聖別して以前の記憶を消去しなければなりません。

聖別の儀式を経てはじめて、それらの道具を自分の儀式専用として揃えておけます。また、聖別した道具は日常的な用具から区別して保存しておきましょう。最初に取り組む儀式として、それぞれの道具が象徴する元素魔術がお勧めです。

大地のシンボルである五芒星(これはボウルに満たした塩でも代用できます)。水のシンボルである腕。風のシンボルである短い杖。そして火のシンボルなら短剣。気をつけたいのは儀式の際、もっとも大切なのは使用している道具と接続する力を感じることです。

自分に馴染まないと感じる道具を用いて儀式を始めるのはよくありません。すべてのウィッカ魔術の力は物理的ではありません。つまり施術者と神々との力ある接続を大切にします。したがって、道具は厳密な意味では不必要です。

熟達した施術者は道具なしに、個人的能力と集中力で同じ儀式をおこなえます。この段階に達するには遙かに多くの熟練が必要です。しかし、一般人にとって、パターン、シンボルと相似性による魔術道具が、必要な場所で、エネルギーを満たした聖なる魔方陣の中で訓練と注意力を助けてくれます。

ほとんどすべてのウィッカンはこれらの魔術道具を使用します。私たちも、彼らのエネルギーの影響下で自身の力を持って仲間の中に加わることができるのです。

魔法なんて非科学的迷信だ!でも無視できない現実がここにあります

魔法なんていう言葉をうっかり使ってしまうと、良識的な人たちから眉をひそめられたり、妖しい人だと指弾されたりするのが、現代日本の常識でしょう。最近はネット社会でも、この言葉を使う人たちを一種の病気であるかのように扱う気分も感じられます。

しかし、少なくとも個人的には子供の頃から強い関心を持ち続けていますし、それなりに価値と意味とがあるように思っています。確かに非科学的ではないとか、迷信だという主張はよく聞かされますが、そのような指摘をそのまま受け入れることができません。

一番に魔法なんて科学的ではないと言いますよね。自分でもどこかでそんな風に感じているのを知っています。でも科学的ではないというのはどういうことなのか、今ひとつはっきりしないのも事実です。科学的であるのが正しくて、そうでないものは誤りだというのでは、明治時代初期の科学に対する理解レベルと大差ない。

科学的であれば、誰にでも扱えるというニュアンスを私たちは持っているのでしょう。科学的アプローチなんてタイトルが付けられると、自分にもできると感じてしまうのではないでしょうか?このように科学的という言葉にはある種のニュアンスが潜んでいます。

例えば科学的であるというのは、実証性とか再現性と呼ばれる性質を意味します。実証性があれば、現象と結びついた事実であるという意味になるでしょうし、再現性があるなら、実験と同じ結果を期待できると考えられます。

しかし、科学的であることは誰にでもできることを意味しません。実証的であり、再現性がある現象は科学的に扱えるとしても、さまざまな条件が前提されているので、誰にでもできるというのは別の事です。

有名シェフの手に掛かると料理が美味しくなるというのは、実証的であり、再現性もあるでしょうが、誰にでも同じ事ができる保証などありえません。むしろ誰にでもできない所に価値があるといえます。

そういう反論をすると次に科学的であることは合理的であるが魔法、魔術などは合理的ではないという主張がなされます。魔術は非合理だから無視すべきだというのです。冷静にこの主張を見れば、凄く乱暴な主張だとわかるはずです。

人間の合理には限界があり、世の中は非合理に満ちているからです。非合理だからといって、無視しても良いというのはとても乱暴な考え方でしょう。魔術が非合理でも必要なものかも知れませんよね。

その他に魔術は秘密主義であるという非難があります。魔法、魔術は公開されていないからです。しかし、科学でもすべてが公開されているとはいえません。隠されている部分は魔術にも科学にもあるのです。

さらに魔術は複雑すぎると言いますが、その通りでしょう。さまざまな要素を含んでいるので複雑です。なので意味が分からないという結論は妥当のように思えます。でも魔術は紀元前から存在していて、時代ごとに適応しながら存在しています。そして現代でも世界中に広がりだしています。

私たちに意味が不明でも無視できません。それに意味がないとは断定できないでしょう。世界には支配者と被支配者の圧力が絶えず存在しまます。被支配者たちは独自の生活文化を創出してきたのです。支配とは制度的なものであり、制度は世界の一部に過ぎません。

現代の至る分野で魔術を扱い始めたという事実は、制度の限界があからさまになってきた社会的事実と無関係ではありません。固定化する社会階層、経済的な抑圧など例を挙げるまでもないでしょう。

それでも、これからもよりよく生きるために、既存制度以外の方法を必要とするのであって、それが世界中で増えてきている魔術・魔法を復興する人たちの原動力なのです。

知らないと損?少女の心をつかんで離さない!恋愛成就の魔術の具体手順

子供の頃、だれしも憧れたものに恋愛成就の魔法を挙げられます。周囲の女性にインタビューをしましたが、やはり小学生、中学生の頃は少女雑誌に掲載される魔術アイテムに強く惹かれた記憶があるようでした。

まるで子供だましのようなものから、何度も密かにブームになったともいう「引き寄せの法則」のようなものまで、魔術にはさまざまなレベルのものが案出されているのが、現代の特徴です。

しかし、魔術が世界に働きかける要素を持つ限り、それは何らかの効果をかつては持っていたと考えるべきだと思うのです。つまり完全に効果がないものと断じれないのが魔術であって、むしろ何故か効果が期待できると感じてしまいます。

今回は古代魔術の系譜を継承しているウィッカによる本物の魔法の手順を紹介することにしました。ウィッカン(ウィッカの人)たちは古代魔術の継承者だと自認し、儀式に創意工夫を凝らし、一種の雰囲気を作り上げています。

実際に手順内容を紹介することでウィッカたちがどのような実践をするのかが具体的に分かるだろうと期待できます。そこで彼らが紹介している永遠のテーマである「愛の魔法」を取り上げて、呪文、儀式、ポーションのガイダンスを解説します。

まず、適切な用法を守り、魔女の信条を破戒しないことが求められるので、実際に儀式を執り行う前の大前提の質問は魔女の信条を冒さないかという問いかけです。このために魔術を執行するか取りやめるかを考えるための質問が二つあります。

まず「この魔法を実行する意図は何か?」そして「怒り、憎しみ、怒り、貪り、嫉みなどの影響を呪文や儀式は受けていないか」という二つの問いですが、この問いは連関構造になっていて、1番目の問いと2番目の問いがお互いの答えとして向かい合っています。

魔術の意図が2番目の問いに見つかるなら、この魔法を用いてはならないとされ、魔術の目的が2番目の問いであるなら、もはや正しいウィッカンではないとされます。真実のウィッカンはマジックを他の個人に悪影響を与えるために用いないからです。

すべて魔術の道は自然な命のリズムと調和しバランスを図るために用いるので、ひとたび利己的な目的で解放されたネガティブな力は命と形と物質とを要求することになります。それは一定の経路を通り抜けて、最終的に望まない形で因果の法則に従う。

自分だけの呪文を作り、エネルギーを相手に対して放出する。魔法の原則によって、相手は絶望的な恋愛感情に捕らえられる。彼らはひとときも欠かさず貴女を必要とするので、あなたはひとときも自由にならなくなる。貴女のすべてを所有し尽くすことはできないので、彼らは徐々に嫉みやすくなり、支配的になり、疑い深くなっていきます。

という警告があって、もしふさわしい相手がいなければ、次のような魔術の手順に従います。まず理想的な相手はどのような人なのだろうか。できるかぎり具体的にまた詳細にリストアップします。

それにふさわしいハーブ、オイル、儀式を行うために必要な道具を集めます。ラベンダーオイルは汎用的多用途に使用できる便利なオイルで初心者向きでしょう。ハーブのお勧めは、「アロエ」「リンゴ」「バジル」などの利用がよさそうです。儀式を行うための道具は、祭壇、ダガー、ろうそく、聖腕などで、日本にもある専門店で入手可能です。

自分の人生に引き込むべく理想的な人を強くイメージしつつ、儀式を執り行います。何度も継続的に儀式を行います。他の魔法と同じように、効果が表れるために時間と集中とエネルギーが必要です。そして自然に魔法のために働く時間を与えましょう。

ウィッカンの魔術は決して即席ではないようです。